「天にいます私たちの父よ」

マタイの福音書6章9節 「主の祈り」は「天にまします我らの父よ」という呼びかけで始まります。これは私たちがいつもどなたに対して祈っているのか、自分はそのお方の前にどのような者かを教えてくれます。祈る時、私たちはしばしば自…

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「主よ、私たちに祈りを教えてください」 

ルカの福音書11章1-4節 クリスチャンは必ず祈ります。その長さや頻度には個人差があれど、全く祈らないクリスチャンはいないでしょう。ただ、私たちが自らの祈りに満足しているかというと、なかなかそうではない現実があるのではな…

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「交わりに生きる幸い」  

詩篇133篇,ヨハネ17章20-23節 今年の年間テーマは「交わりの再建」ですが、交わりに関してそれぞれに思い出があるでしょう。それが真実な交わりであるならば、いつも互いを全肯定するというよりも、みことばの基準によって軌…

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「われは永遠のいのちを信ず」

黙示録21章1-8節   いよいよ使徒信条も最後の所に来ました。「われは永遠のいのちを信ず」とありますが、ここで言われるのは単なる不老不死ではありません。永遠のいのちの本質は、神とキリストを知ることです(ヨハネ17:3)…

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「我はからだのよみがえりを信ず」

第一コリント15章35-58節  私が教会の葬儀に初めて出席したのは、小学生の頃に祖父を天に送った時のことです。葬儀の最中、悲しみで心が一杯になっていましたが、教会のある方がこのように励まして下さいました。「おじいちゃん…

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「われは罪の赦しを信ず」  

第二コリント5章11節-6章2節 あるクリスチャンの集会で、「どうして罪が赦される必要があると思いますか?」と講師が問いかけました。多く返ってきたのは、「天国に行くため」という答でした。それは間違っていませんが、あくまで…

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「われは聖徒の交わりを信ず」   

Ⅰコリント12章12-27節 ボンヘッファーの著書「共に生きる生活」は、こんな言葉から始まります。「キリスト者が、他の兄弟との交わりの中で生きることが許されているのは、決して当たり前のことではない」。私たちは一人で神を信…

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「われは聖なる公同の教会を信ず」

ペテロの手紙第一2章1-10節 私たちは教会に集う中で、様々な経験をします。いまだに罪の残り滓を持ちながら、やがて来る完成の日を目指しつつ、共に地上を旅する群れ。その私たちが「われは聖なる公同の教会を信ず」と告白するのに…

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「われは聖霊なる神を信ず」

ヨハネの福音書16章7-15節 使徒信条は「われは聖霊を信ず」から第三部に入ります。実はこの聖霊に関わる所こそ、使徒信条の内容が私たちの身近になる所でしょう。聖霊こそ私たちの信仰生活を生きたものにする、鍵となるお方だから…

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「われは再び来られるキリストを信ず」

テサロニケ人への手紙第一5章1-11節 何となく私たちは、この毎日の生活がいつまでも続くように思いがちかもしれません。しかし、聖書は「終わりの日」について語り、その終末に至る見通しを持ってこそ、今日一日を精一杯生きようと…

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