「我はからだのよみがえりを信ず」
第一コリント15章35-58節 私が教会の葬儀に初めて出席したのは、小学生の頃に祖父を天に送った時のことです。葬儀の最中、悲しみで心が一杯になっていましたが、教会のある方がこのように励まして下さいました。「おじいちゃん…
第一コリント15章35-58節 私が教会の葬儀に初めて出席したのは、小学生の頃に祖父を天に送った時のことです。葬儀の最中、悲しみで心が一杯になっていましたが、教会のある方がこのように励まして下さいました。「おじいちゃん…
第二コリント5章11節-6章2節 あるクリスチャンの集会で、「どうして罪が赦される必要があると思いますか?」と講師が問いかけました。多く返ってきたのは、「天国に行くため」という答でした。それは間違っていませんが、あくまで…
Ⅰコリント12章12-27節 ボンヘッファーの著書「共に生きる生活」は、こんな言葉から始まります。「キリスト者が、他の兄弟との交わりの中で生きることが許されているのは、決して当たり前のことではない」。私たちは一人で神を信…
ペテロの手紙第一2章1-10節 私たちは教会に集う中で、様々な経験をします。いまだに罪の残り滓を持ちながら、やがて来る完成の日を目指しつつ、共に地上を旅する群れ。その私たちが「われは聖なる公同の教会を信ず」と告白するのに…
ヨハネの福音書16章7-15節 使徒信条は「われは聖霊を信ず」から第三部に入ります。実はこの聖霊に関わる所こそ、使徒信条の内容が私たちの身近になる所でしょう。聖霊こそ私たちの信仰生活を生きたものにする、鍵となるお方だから…
テサロニケ人への手紙第一5章1-11節 何となく私たちは、この毎日の生活がいつまでも続くように思いがちかもしれません。しかし、聖書は「終わりの日」について語り、その終末に至る見通しを持ってこそ、今日一日を精一杯生きようと…
使徒1章3〜11節、コロサイ3章1~4節 使徒信条はここまで、過去の出来事を扱ってきました。しかし、「全能の父なる神の右に座したまえり」という所では現在形が使われます。つまり、これは私たちが「今、ここで」生きている信仰の…
コリント人への手紙第一 15章12-22節 教会に馴染みのない方々は、聖書を読んで「なぜ2000年前の話が、今の自分たちに関係するのか?」と考えるかもしれません。キリスト教信仰が、人間の想像の産物でないといえる証拠は何で…
ヨハネの福音書19章28節〜42節 聖書によれば、イエス・キリストは神の子ですから、本来死ぬことはあり得ないはずでした。でも、そのお方が十字架にかかって死なれた。この事実は何を指しているのでしょう。 Ⅰ. 十字架上の渇き…
ルカの福音書23章32節〜43節 今回は「主は…十字架につけられ」という言葉を取り上げます。キリストの十字架は私たちに何をもたらし、何を問いかけているのでしょうか。 Ⅰ. 自分ではなく、罪人を救うために来たキリスト v3…