「御名が聖なるものとされますように」
「御名が聖なるものとされますように」 2023年7月 マタイの福音書6章9-10節 牧師 中西 健彦 かつて聖書神学舎で教鞭を取られた遠藤嘉信という先生がおられます。遠藤先生は難病ALSを患われ、48歳の若さ…
「御名が聖なるものとされますように」 2023年7月 マタイの福音書6章9-10節 牧師 中西 健彦 かつて聖書神学舎で教鞭を取られた遠藤嘉信という先生がおられます。遠藤先生は難病ALSを患われ、48歳の若さ…
マタイの福音書6章9節 「主の祈り」は「天にまします我らの父よ」という呼びかけで始まります。これは私たちがいつもどなたに対して祈っているのか、自分はそのお方の前にどのような者かを教えてくれます。祈る時、私たちはしばしば自…
ルカの福音書11章1-4節 クリスチャンは必ず祈ります。その長さや頻度には個人差があれど、全く祈らないクリスチャンはいないでしょう。ただ、私たちが自らの祈りに満足しているかというと、なかなかそうではない現実があるのではな…
詩篇133篇,ヨハネ17章20-23節 今年の年間テーマは「交わりの再建」ですが、交わりに関してそれぞれに思い出があるでしょう。それが真実な交わりであるならば、いつも互いを全肯定するというよりも、みことばの基準によって軌…
黙示録21章1-8節 いよいよ使徒信条も最後の所に来ました。「われは永遠のいのちを信ず」とありますが、ここで言われるのは単なる不老不死ではありません。永遠のいのちの本質は、神とキリストを知ることです(ヨハネ17:3)…
第一コリント15章35-58節 私が教会の葬儀に初めて出席したのは、小学生の頃に祖父を天に送った時のことです。葬儀の最中、悲しみで心が一杯になっていましたが、教会のある方がこのように励まして下さいました。「おじいちゃん…
第二コリント5章11節-6章2節 あるクリスチャンの集会で、「どうして罪が赦される必要があると思いますか?」と講師が問いかけました。多く返ってきたのは、「天国に行くため」という答でした。それは間違っていませんが、あくまで…
Ⅰコリント12章12-27節 ボンヘッファーの著書「共に生きる生活」は、こんな言葉から始まります。「キリスト者が、他の兄弟との交わりの中で生きることが許されているのは、決して当たり前のことではない」。私たちは一人で神を信…
ペテロの手紙第一2章1-10節 私たちは教会に集う中で、様々な経験をします。いまだに罪の残り滓を持ちながら、やがて来る完成の日を目指しつつ、共に地上を旅する群れ。その私たちが「われは聖なる公同の教会を信ず」と告白するのに…
ヨハネの福音書16章7-15節 使徒信条は「われは聖霊を信ず」から第三部に入ります。実はこの聖霊に関わる所こそ、使徒信条の内容が私たちの身近になる所でしょう。聖霊こそ私たちの信仰生活を生きたものにする、鍵となるお方だから…