「地の塩、世の光」

マタイの福音書5章13~16節    アメリカの名説教者ジョン・パイパーが記した著書「無駄でなかったと言える生き方」には、高齢になってからクリスチャンになった人の話が載っています。教会は彼のために何十年も祈り、ついにある…

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「怒り、悲しみ、愛する主」

マルコの福音書3章1〜6節 「正しすぎてはならない」(伝7:16)という聖書の言葉があります。誠実に生きたいと願うならば、正しさを求めるのは自然なことでしょう。ただ、自分の正しさにこだわり過ぎる時、私たちは物事を見る目が…

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「安息日の主」

マルコの福音書2章23〜28節  私たちは色々な決め事の中で生きています。ただ、最初は明らかな目的と意図があったとしても、その意味が伝えられずに形だけ残るならば、「なぜこれを守っているんだろう?」という事も起こり得ます。…

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「新しいぶどう酒は、 新しい皮袋に」

マルコの福音書2章18〜22節 クリスチャン作家のC.S.ルイスは、キリスト教信仰を持つことをこのように喩えました。「われらの主は歯医者のようなものである。人々は自分で恥ずかしいと思う罪や、日常生活を損なう問題だけを治し…

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「いのちより大切なもの」

マルコの福音書2章1〜12節 Ⅰ. 主イエスの元に運ばれる人 v1-5 マルコ2章は、主イエスが数日経ってから、再びカペナウムに戻って来られた場面から始まります。主イエスが家にいると知れ渡ると、みな一斉に押し寄せてきまし…

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「自分の思いか、みこころか」

マルコの福音書 1 章 40〜45 節 Ⅰ. 主イエスのみこころー深いあわれみ v40-42 主イエスは様々な病人を癒やされましたが、ここではツァラアトという病にかかった人が出てきます。ツァラアトは当時最も恐れられた病の…

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「救い主の一日」

マルコの福音書1章29〜39節 主イエス一行は、驚きに包まれた礼拝を後に会堂を出ていきました。弟子たちは、次はどこに行くのかと思ったでしょう。すると意外にも、その行き先はシモンとアンデレの家でした(29節)。二人は網を捨…

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驚きの礼拝

マルコの福音書1章21〜28節 主イエスはガリラヤ宣教にあたり、安息日に会堂で教え始められました。そこには汚れた霊につかれた人がいて、このように言われました。「ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを…

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「わたしについて来なさい」

マルコの福音書1章16〜20節 「なぜ牧師になったんですか?」と尋ねられることがありますが、最初から自分でなろうと思った訳ではありません。突きつめると「神に呼ばれたから」としか答えられない所があります。声をかけられ、呼ば…

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荒野を通られた主

マルコの福音書1章9〜15節 約10年前、フィリピン宣教地体験ツアーに参加したことがあります。行った先々では、日本でなかなか経験できないこともありました。冷水で体を洗ったり、招かれた家では普段馴染みのないものをご馳走にな…

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