「悲しむ者は幸いです」
マタイの福音書5章4節 「悲しむ者は幸いです」という言葉は、私たちにある種の戸惑いを引き起こします。愚かなたわごとのように聞こえるかもしれません。しかし、それは悲しみを味わい尽くされた主イエスだからこそ、語り得る言葉では…
マタイの福音書5章4節 「悲しむ者は幸いです」という言葉は、私たちにある種の戸惑いを引き起こします。愚かなたわごとのように聞こえるかもしれません。しかし、それは悲しみを味わい尽くされた主イエスだからこそ、語り得る言葉では…
マタイの福音書5章3節 子育てをしていると、日々色んな発見があります。2歳の娘は階段から下りたい時、親の私に身を任せて飛び込んで来ます。そこには「絶対受け止めてくれる」と信じ切る姿があります。私はそのような娘の姿を見な…
マタイの福音書5章1〜10節 ガリラヤの風薫る丘で主イエスが語られた有名な教え、それが「山上の説教」です。かつてインドで非暴力運動を行ったガンジーは山上の説教を愛し、無神論者ニーチェはこれを呪ったと言われます。そのように…
マタイの福音書5章13~16節 アメリカの名説教者ジョン・パイパーが記した著書「無駄でなかったと言える生き方」には、高齢になってからクリスチャンになった人の話が載っています。教会は彼のために何十年も祈り、ついにある…
マルコの福音書3章1〜6節 「正しすぎてはならない」(伝7:16)という聖書の言葉があります。誠実に生きたいと願うならば、正しさを求めるのは自然なことでしょう。ただ、自分の正しさにこだわり過ぎる時、私たちは物事を見る目が…
マルコの福音書2章23〜28節 私たちは色々な決め事の中で生きています。ただ、最初は明らかな目的と意図があったとしても、その意味が伝えられずに形だけ残るならば、「なぜこれを守っているんだろう?」という事も起こり得ます。…
マルコの福音書2章18〜22節 クリスチャン作家のC.S.ルイスは、キリスト教信仰を持つことをこのように喩えました。「われらの主は歯医者のようなものである。人々は自分で恥ずかしいと思う罪や、日常生活を損なう問題だけを治し…
マルコの福音書2章1〜12節 Ⅰ. 主イエスの元に運ばれる人 v1-5 マルコ2章は、主イエスが数日経ってから、再びカペナウムに戻って来られた場面から始まります。主イエスが家にいると知れ渡ると、みな一斉に押し寄せてきまし…
マルコの福音書 1 章 40〜45 節 Ⅰ. 主イエスのみこころー深いあわれみ v40-42 主イエスは様々な病人を癒やされましたが、ここではツァラアトという病にかかった人が出てきます。ツァラアトは当時最も恐れられた病の…
マルコの福音書1章29〜39節 主イエス一行は、驚きに包まれた礼拝を後に会堂を出ていきました。弟子たちは、次はどこに行くのかと思ったでしょう。すると意外にも、その行き先はシモンとアンデレの家でした(29節)。二人は網を捨…